帝銀事件とは?12人毒殺と冤罪論を整理

帝銀事件とは?12人毒殺と冤罪論を整理

戦後まもない東京の銀行で、行員たちが「予防薬」と称する液体を飲まされ、次々と倒れました。

12人が命を落とした帝銀事件です。

名前だけは歴史の授業やテレビで耳にする、けれど中身はぼんやりしている。

犯人とされた人物は死刑判決を受けながら、一度も執行されないまま獄中で亡くなりました。

名前は知っていても経緯までは説明できない——そんなもどかしさを感じたことはないでしょうか。

事件のあらましを押さえる

まずは何が起きたのかを、時系列でたどってみます。

事件が起きたのは、1948年(昭和23年)1月26日の閉店直後のことでした。

帝国銀行椎名町支店(東京都豊島区)に、東京都の防疫官を名乗る中年の男が現れます。

男は「近くで集団赤痢が発生した、進駐軍の指示で予防薬を飲んでほしい」と切り出しました。

終戦から3年、闇市や伝染病が身近だった時代に、「防疫」という名目は疑われにくいものでした。

男は行員と用務員の家族あわせて16人に、コップへ注いだ液体を配ります。

ここで不気味なほど巧妙だったのが、飲ませ方です。

「歯のエナメル質を傷めるので、舌に触れないよう一気に飲むように」と指示し、自分が先に口をつけてみせました。

そのうえで薬を二段階に分け、全員に飲み下させたのです。

直後に16人のうち、12人が命を落とし、生き残った人も重い中毒に倒れました

男は現金でおよそ16万円と小切手を奪い、そのまま姿を消します。

使われたのは、口にすればごく短時間で命を奪う青酸化合物でした。

生存者が語る犯人像は、白衣を着た物腰のやわらかい紳士という、いかにも役人らしいものだったといいます。

被害を広げたのは、毒の強さよりも「薬らしさ」を演じ切った手口そのものでした。

なぜ犯人がなかなか絞られなかったのか

帝銀事件が長く「謎」と呼ばれる出発点は、犯人像の絞り込みの難しさにあります。

青酸化合物を、その場をパニックにさせずに飲ませ切る——これは素人にできる芸当ではありません。

毒物を安全に扱う知識と、目の前で人が倒れても動じない度胸の両方が要ります。

そこで真っ先に疑われたのが、毒物の扱いに慣れた旧軍の関係者でした。

なかでも、生物・化学兵器を研究していたとされる関東軍の731部隊の名が取り沙汰されます。

使われた毒が単純な青酸カリではなく、時間差で効くよう調整された化合物だった可能性も、この見方を後押ししました。

飲んですぐではなく、少し遅れて効くなら、犯人が現金を奪って逃げる時間が生まれるからです。

ところが、この筋の捜査はやがて行き詰まります。

占領下という時代の壁もあり、旧軍の闇には踏み込みきれなかったという指摘は、今も根強く残るのです。

毒物と手口の「プロっぽさ」が、かえって捜査の視線を旧軍へと引き寄せたとも言えます。

平沢貞通は本当に犯人だったのか

捜査が難航するなか、逮捕されたのはテンペラ画家の平沢貞通でした。

決め手は物証ではなく、一枚の名刺の線だったのです。

実はこの事件の前にも、よく似た手口の未遂事件が起きていました。

そのとき犯人が使った実在の人物の名刺をたどるうちに、その名刺を受け取っていた平沢が候補として浮かびます。

取り調べのなかで、平沢はいったん犯行を認めました。

しかし公判では一転して否認し、自白は精神的な追い込みの末に生まれたものだと訴えます。

科学捜査の乏しい時代で、自白がなにより重んじられた背景も見落とせません。

そして、犯行を裏づける決定的な物証は、最後まで出てきませんでした。

それでも、平沢には死刑判決が下されます。

ただ、平沢が犯人だとする見方には疑問も多く、死刑は一度も執行されませんでした。

平沢は再審を求め続けながら、1987年に95歳で獄中に亡くなりました。

刑の執行も、無罪の証明もないまま宙づりで終わった——この状態こそ、帝銀事件が「未解決」と語られる理由でした。

翌1949年の夏には国鉄をめぐる怪事件が相次ぎ、こちらも犯人像が固まらないまま迷宮入りしています。

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最後に

帝銀事件を追うと、どうしても「誰がやったのか」の一点に気持ちが引っ張られてしまう。

けれど事件を落ち着いて捉えるコツは、確定していることと、まだ確定していないことを分けるところにあります。

12人が毒殺され、犯人が現金を奪って逃げた——ここまでは動かしようのない事実です。

一方で、その犯人が平沢だったのかは、今も証明されきっていません。

確定した事実と、未解決の論点を切り分ける——この一手間を省くと、事件はただの「怖い話」に痩せてしまいます。

物証を欠いた自白の危うさという教訓は、時代を超えて色あせません。

古い事件を「謎」のまま消費せず、事実と論点を切り分けて眺める。

その視点がひとつあるだけで、ニュースでも歴史でも、話の輪郭がぐっと見通しやすくなります。

以上です。