お菓子の袋を包んでいる外側のフィルムは、一度破ると元に戻せません。
あの「開けたら戻らない」つくりは、便利さのために生まれた形ではないのです。
日本中の店頭から菓子が消えた事件が、1984年から1985年にかけての1年半、この国で起きていました。
犯人は最後まで捕まらず、それでもあの事件が変えたものは今も私たちの手のひらの上に残っています。
名前だけは聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか。
1年半で何が起きたのか
事件は、ひとつの誘拐から始まりました。
社長が浴室から連れ去られた夜
1984年3月18日の夜、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長宅に、拳銃と空気銃を構えた男たちが押し入ります。
犯人はまず隣接する社長の実母宅を襲って合鍵を奪い、その鍵で社長宅へ入り込みました。
入浴中だった社長は、裸のまま連れ去られています。
翌未明に届いた脅迫状の要求は、現金10億円と金塊100キログラム。
ところが社長は3日後の3月21日、監禁されていた水防倉庫から自力で抜け出し、近くの貨物駅へ駆け込んで保護されました。
誘拐事件であれば、通常はここで幕が下ります。
幕が下りなかったことこそ、この事件の異様さの出発点。
「かい人21面相」と青酸入りの菓子
社長が戻ってからも、グリコへの攻撃は止まりませんでした。
4月には本社の試作室が放火され、5月には「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」と書かれた挑戦状が新聞社に届きます。
犯人は自らを「かい人21面相」と名乗りました。
江戸川乱歩の怪人二十面相をもじったその名前で、報道の中心に居座り続けたわけです。
標的はグリコだけにとどまりません。
丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋と、脅す相手を次々に乗り換えていきます。
なかでも社会を凍りつかせたのが、1984年10月の森永製品でした。
「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書かれた紙を貼られた菓子が店頭に置かれ、青酸ソーダ入りの製品が13個見つかっています。
買い物客が手を伸ばす棚そのものが狙われた点で、それまでの企業脅迫とは種類が違いました。
終息宣言と、静かな幕切れ
現金の受け渡し場所は何度も指定されましたが、犯人はただの一度も現れていません。
丸大食品とハウス食品への脅迫では、「キツネ目の男」と呼ばれた不審な男が刑事に目撃されました。
それでも当時の捜査本部は現金授受の瞬間に一網打尽にする方針を優先し、現場の刑事へ職務質問や逮捕の権限を与えていなかったのです。
結果として、その男は雑踏へ消えています。
1985年8月7日、ハウス食品事件で不審車両を取り逃がした滋賀県警本部長が、辞任の記者会見を終えた後に自ら命を絶ちました。
その5日後、犯人から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」という終息宣言が届きます。
理由として書かれていたのは、亡くなった本部長への香典代わり、という言い分でした。
以後、犯人グループの動きは完全に途絶えます。
そして2000年2月13日、関連する28件すべての公訴時効が成立しました。
警察庁が広域重要指定した事件のうち、犯人を検挙できなかった最初の一件になります。
なぜ「劇場型犯罪」と呼ばれるのか
この事件には、必ずセットで語られる呼び名がついているのです。
観客席をつくった犯人
犯人は企業へ脅迫状を送るだけでなく、新聞社や週刊誌へ「挑戦状」を送りつけていました。
警察をあざ笑う文面、ひらがな交じりの独特の文体、青酸ソーダで何人殺せるかというクイズ。
企業や報道機関へ送られた文書は、確認されているだけで144通にのぼります。
つまり犯人は、被害企業と警察という当事者の外側に、報道と世間という観客席を自分の手で用意したわけです。
評論家の赤塚行雄が「劇場型犯罪」と名づけたのは、この構造を指してのことでした。
事件そのものより、事件を見せる仕組みのほうが新しかった。
捕まえられなかった理由
犯人の手口は、当時の捜査が置いていた前提を一つずつ外していきました。
現金の受け渡し場所は電話一本で何度も変更され、追う側は常に後手に回ります。
要求を伝える電話には子供の声の録音が使われ、声から犯人像をたどる道も塞がれました。
さらに犯人グループは警察無線を傍受し、捜査側の動きを聞きながら指示を出していたとみられています。
当時の警察無線はアナログのFMで、周波数の一覧が市販の雑誌に載るほど開かれていたのです。
追う側の会話が、追われる側に筒抜け。
「これでは追いつけない」と思わされます。
鬼ごっこで、鬼の居場所だけが相手に丸見えになっている状態に近いかもしれません。
犯人不明のまま残った3つの変化
犯人は何も得られないまま消えました。
それでも社会の側には、この事件をきっかけに定着した仕組みが残っています。
開けたら戻らない包装
事件のあと、江崎グリコは製品の包装を、開封したら元に戻せない構造へ切り替えました。
同時期に別の毒物混入事件も起きており、この流れは食品業界全体へ広がります。
冒頭のフィルム、キャップのリング、貼り直せないシール。
私たちが毎日なにげなく破っている「戻らない仕掛け」は、この時期に常識になったものです。
グリコ法という後追いの立法
青酸入りの菓子には、必ず「どくいり きけん」と書かれた紙が貼られていました。
食べれば死ぬと明示されている以上、殺人未遂として問えるのかという疑義が当時から出ていたのです。
この穴を埋めるために作られたのが、流通食品への毒物の混入等の防止等に関する特別措置法(昭和62年法律第103号)です。
通称「グリコ法」と呼ばれ、流通食品へ毒物を混入する行為そのものが処罰の対象になりました。
条文は日本法令外国語訳データベースで確認できます。
警察無線のデジタル化
傍受されていたという事実は、警察側にも重い宿題を残しました。
当時すでに一部で導入が始まっていた暗号化されたデジタル無線への移行が、この事件を機に前倒しされていきます。
通信を聞かれる前提で作戦を組まずに済むようになったという意味では、捜査の土台そのものが入れ替わった転換点。
犯人が一人も捕まらなくても、社会の側は形を変えて学習した。
最後に
未解決事件の記事を読むと、どうしても「犯人は誰だったのか」へ目が向きます。
ただ、この事件が残したものを並べてみると、犯人の正体という空白より、その空白を埋めるように積み上がった仕組みのほうが厚いのです。
捜査に動員された捜査員は延べ130万1千人、捜査対象は12万5千人といわれています。
それだけの人手を注いでも届かなかった相手に対して、社会は包装と法律と通信で応じました。
犯人を捕まえられなくても、同じ手口が二度と通らない形へ作り替えることはできる。
事件史としてではなく、そういう学習の記録として読み直すと、40年前の話がずいぶん近く感じられます。
事件全体の細かな経緯はグリコ・森永事件にまとまっているので、追いかけたい方はそちらへ。
以上です。











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